すか……そうしてこのお金を、わたしに預かれとおっしゃるのは?」
「かねがね話してもおきました通り」
兵馬は思い切って語り出でようとする時、廊下に人の歩む音があって、
「東雲さん、東雲さん」
「はい」
その声を聞くと女が、そわそわと立ち上り、
「少しの間、待っていて下さい」
にっこり[#「にっこり」に傍点]と愛嬌を見せて行ってしまいました。
その翌日、結束して江戸を離れて、例の甲州街道の真中に立った宇津木兵馬。
今夜こそは、と思い切って出かけてみたが、宵《よい》のうちは人に妨げられ、ようやく打解けて物語りにかかろうとする時、また人に呼ばれて女は行ってしまった。そのまま、ついに思いを遂げずして楼を出たのは昨夜のこと。
それがいかにも残り惜しいのである。とはいえ、もう自分があの女を人手に渡したくないという心は、よく通じているはずである。さればこそ女の手許に預けた一包の金、事情は語り残したけれども、それが何を意味しての金だか、女が充分に推量している、と兵馬は、それを自ら慰めつつ、歩くともなく歩いているのです。
その時、女に預けた金。どうして彼は今の浪々の少年の身でそれを得たか。
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