くあって、村山街道の方面から、八幡太郎の欅並木《けやきなみき》を、なにくわぬ面をして、府中の町へ入り込もうとするがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵を見ることができます。
 多摩川べりから大廻りに廻って、宵に逃げ出したあぶないところへ、再び足を踏み入れようとするこの男の心の中は、渡し守から聞かされた昨夜の事件の内容で、自分ながら呆気に取られると共に、むらむらと例によっての功名心に油が乗り、わざわざこうして取って返したもので、取って返した以上は、必ずしるし[#「しるし」に傍点]を挙げて、我ながら気の利いて間の抜けた昨夜のしくじり[#「しくじり」に傍点]を取り返そうという自信のほどが、鼻の先にうごめいている。
「いけねえ、草鞋《わらじ》が切れちゃった、幸先《さいさき》がよくねえや、ちぇッ」
 八幡太郎の欅並木のとっつきで、草鞋のち[#「ち」に傍点]の切れたのを舌打ちして忌々《いまいま》しがったが、まだ夜明け時分ではあり、近いところに店もなし、当惑して見廻すと、馬頭観音のささやかなお堂の前につるしてあるのが奉納の草鞋です。
「これ、これ、これを御無心申すことだ」
といって百蔵は、堂の前へや
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