飛び上ったのは、よくよく胸にこたえるものがあったと見えます。
「ええ、出羽の庄内で十四万石、酒井左衛門尉様のお手がついたお部屋様を、悪者が盗み出して、そうして、この甲州街道を逃げたということですよ」
「やい、ばかにするな、そのことならおれが知ってるんだ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は眼の色を変えて飛び出そうとするから、渡し守のおやじが呆気《あっけ》にとられて、
「親方、お前さん、それを知っておいでなさる?」
「知ってるとも。知らなけりゃ、どうしてこんなことが聞いていられると思う、ばかばかしいにも程があったもんだ、昨夜《ゆうべ》もそれを考えて、ひとりで思出し笑いをしていた奴はどこにいる、先手を打たれて眼の前で騒がれながら、いい心持でどぶろく[#「どぶろく」に傍点]を飲んでいりゃあ天下は泰平だ、面《つら》を洗って出直さなけりゃあ、とても明るい日の下を歩けるわけのものじゃねえ」
 こういって、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は道中差をつき差すと共に、小屋の外へ飛び出して、いきなり多摩川の流れで、ゴシゴシと自分の面《かお》を洗いはじめました。

         十一

 やや暫
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