で聞いてみると、どうやら、がんりき[#「がんりき」に傍点]の胸が穏かでなくなりました。大名のお部屋様を嗾《そその》かして来たという、だいそれた色師の腕が憎いと、そういうところに妙な反抗心を持つこの男は、その憎い仇《かたき》の面《かお》を見てやりたくなる心持で、
「そうして、お爺《とっ》さん、その色敵《いろがたき》は首尾よくつかまったのかえ」
「ところが、つかまらねえんでがす、たしかにこの府中の町へ入ったはずなのが、どこをどうして逃げたか、いっこう行方《ゆくえ》がわからなくなってしまいましたんで」
「おやおや」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]としては、首尾よく逃げ了《おお》せたその果報者をますます憎い者に思って、また一面には、さがしに来たやつらの腑甲斐《ふがい》なさを、腹のうちで嘲《あざけ》っていたが、なんだか腹の中が無性《むしょう》に穏かでない。
「それで何かえ、そのお妾を盗まれたという殿様はいったい、どこの何という殿様だか、それを聞いて来なすったか」
「それが、その酒井様の……」
「ナニ、酒井様?」
「ええ、出羽の庄内の酒井様」
「何だって」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が
前へ 次へ
全338ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング