点]は、もう起き上って火を焚きつけていました。
 そこでがんりき[#「がんりき」に傍点]はなにげなく、
「お爺《とっ》さん、騒ぎというのは何だったね」
「乱暴な奴もあればあるもので、あるお大名の殿様のお妾《めかけ》を盗み出して逃げた奴があるんだそうですよ」
「え……」
「お江戸から、その殿様のお妾を盗んで来て、なんでも、たしかにこの府中のうちに泊ったにちがいないと睨《にら》まれたんだそうでがす」
「ナニ、何だって」
「それをお前さん、あとから追いかけてきたもんでがす、何しろ、殿様の御威勢ですからね、二十人ばかりのお侍が馬を飛ばせて江戸から、これへ追いかけて来たんだそうで……」
「ま、待ってくれ。してみると昨晩の家《や》さがしというのは、泥棒や火つけというようなものじゃあなかったんだね」
「どういたして、殿様のお妾なんです、お大名のお部屋様を連れ出した奴があったんだそうでがすから」
「そいつはなかなか大事《おおごと》だった……」
「大事にもなんにも、浄瑠璃や祭文《さいもん》で聞くお半と長右衛門が逃げ出したのなんぞより事が大きいでがすから、町の役人たちも騒ぎました」
「やれやれ」
 ここま
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