のもとに宿下りの身分であるという一件だ、その名はお柳という。これだけのことを聞かせてやるから、あとは貴様の思うようにしてみろ」――こういって猫の前へ鰹節を出したのが、今いう、その南条先生なるものの言い草である。この南条という男、ある時は慨世の国士のように見え、ある時はてんで桁《けた》に合わないことを言い出して、掠奪や誘拐を朝飯前の仕事のようにいってのける。勧めるのに事を欠いて、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵というやくざ[#「やくざ」に傍点]者にこんなことを勧めるのは、油紙へ火をつけるようなもので、ただでさえも、そういうことをやりたくて、やりたくて、むずむずしている男に向って、こういって筋を引いたから堪ったものではない。「先生、がんりき[#「がんりき」に傍点]を見込んで、そうおっしゃって下さるのは有難え」――手を額にして恐悦《きょうえつ》したのはつい先頃のことです。今や、その仕事にとりかかろうとして、しきりに思出し笑いをしているところへ、夜前の渡し守が帰って来ました。
「親方、お留守を有難うございました、いやはや、昨晩は話より大騒ぎでしたよ」
その時がんりき[#「がんりき」に傍
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