いるがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、ここの渡し守のおやじとも疾《と》うからなじみ[#「なじみ」に傍点]で、言葉をかければ、響くほどの仲になっているのです。
 渡し守の小屋の中へ身を納めて、土間に燃えた焚火の前へ腰をかけ、おもむろに腰の煙草入を抜き取った時分に、程遠からぬ街道の騒動が、渡し守のおやじ[#「おやじ」に傍点]の耳に入って来たものです。
「何だい、ありゃ、えらく騒がしいじゃねえかな」
 寝ていたおやじが起き直ると、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、さあらぬ面《かお》をして、
「お爺《とっ》さん、気をつけな、府中の宿は今、上を下への大騒ぎだぜ」
「え、府中の宿が上を下への大騒ぎだってな? なるほど、馬で人が駆けるわな、夜中に馬で飛ばす騒ぎは只事ではござるめえ」
 おやじは、むっくりと起きて心配そうです。倅《せがれ》の家は府中の町はずれにあって、幾人《いくたり》かの孫もあるはず。
「只事じゃねえ、府中の町をひっくるめて、一軒別に家さがしが始まってるんだぜ」
「へえ、一軒別に家さがし……なんです、泥棒ですか、駆落《かけおち》ですか」
「さあ……」
 がんりき[#「がんりき
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