霽《は》れていた空が、すっかり薄曇りに曇ってしまったよ、弁信さん、雨が降りそうになってしまったよ」
「琵琶は止めにしよう、ね、茂ちゃん、こんな日に無理をすると悪いから」
さすがの弁信法師も、再三の故障に気を腐らして、琵琶を弾くのを断念したようです。茂太郎もまたそれが穏かだと思いました。弁信はせっかく琵琶を弾くことを断念して、静かにそれを袋に納めました。
十
府中の宿のこの大騒ぎの避難者の一人に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵があります。こういう場合において、この男は避難ぶりにおいても、抜け駆けにおいても、決して人後に落つるものではない。手が入ったと聞いて、自分が泊っていた中屋の二階から、屋根づたいに姿をくらましたのは、例によって素迅《すばや》いもので、もちろん、あとに煙管《きせる》一本でも、足のつくようなものを残して置くブマな真似はしないで、スワと立って、スワと消えてしまった鮮かな脱出ぶりは、手に入《い》ったものです。
そうして、まもなくすました面《かお》を、日野の渡し守の小屋の中へ突き出して、
「お爺《とっ》さん」
「はい、はい」
道中師で通って
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