原へ来て見ると、多摩川の流れが月を砕いて流れています。広い河原には、ほとんどいっぱいに月見草の花が咲いています。遠く水上《みなかみ》には、秩父や甲州の山が朧《おぼ》ろに見えるし、対岸の高くもない山や林も、墨絵のようにぼかされています。
「ここが分倍河原というんだろう」
 蓆《むしろ》を巻いて来た茂太郎は、月見草の中に立って、さてどこへ席を設けたものかと迷うています。
「ああ、ここが分倍河原で、古戦場のあとなんだよ」
 弁信法師はこう言いましたけれども、その古戦場の来歴を説明するまでには至りません。いかに耳学問の早い物識りのお喋り坊主でも、行く先、行く先の名所古蹟を、いちいち明細に説明して聞かせるほどの知識は持っていないのがあたりまえです。
 しかし、二人の立っているところは、いわゆる、分倍河原の古戦場の真中に違いないので、そこは昔、軍配河原《ぐんばいがわら》ととなえられたところであります。しかも、茂太郎が席を設けようかと思案しているあたりの小さな二つの塚は、俚俗に首塚、胴塚ととなえられる二つの塚であります。治承《じしょう》四年の十月には、このあたりへ、源頼朝が召集した関八州の兵《つわも
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