旅人の風《なり》をしていたんだが、その足の迅《はや》いこと……すっとすれ違ったと思ったら、あの地蔵辻から、もう大見晴らしの上に立っていたのにおったまげて、あの時ばかりは動けなくなっちまったよ」
六
その地蔵辻の上へ駕籠を置いて、駕籠屋は一息入れています。
蜿蜒《えんえん》として小仏へ走る一線と、どこから来てどこへ行くともない小径《こみち》と、そこで十字形をなしている地蔵辻は、高尾と小仏との間の大平《おおだいら》です。
四方に雲があって、月はさながら、群がる雲と雲との間を避けて行くもののように、景信《かげのぶ》と陣馬《じんば》ヶ原《はら》の山々は、半ば雲霧に蔽《おお》われ、道志《どうし》、丹沢《たんざわ》の山々の峰と谷は、はっきりと見えて、洞然《どうぜん》たるパノラマ。その中に置き据《す》えられた一つの駕籠。
机竜之助は、その中に、堀河の国広を抱いて、うっとりと眠るともなく、醒《さ》めるともなく、天狗様の怪異談まで聞いて、駕籠のとどまったことを夢心地に覚えていると――
その時、不意に風でも吹き起ったもののように、サーッと尾萱《おがや》の鳴る音が、行手ではな
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