なかった――沈勇にして大人《たいじん》の風あるムク犬は今も無事で、それでも魂の抜けた主人を守っているのだろう。さて顧みれば四辺《あたり》に全く人はない。今時、今の刻限、このあたりを独《ひと》り歩きするの危険、それは米友だって知っている。
 辻斬の本場ともいうべきこのあたり。深夜にこの辺をうろつく者は、斬りに行くか、斬られに行くか二つの中。ここで米友は、改めて自分ながら危ない夜道だと思いました。
 幸いにして「伝通院学寮」の文字が、辻番の目にも諒解《りょうかい》を与えるに充分であったと見えて、無事にここまで来た時に、はじめて米友も、うすら淋しさを感じたが、もう一息で両国。そこは、花やかな歓楽郷。橋一つ越ゆれば目的の相生町。
 で、以前、女の殺されたあたりの柳の生えた堤《どて》に沿うて急いで行くと、道路に物が横たわっている。心得て米友は少し廻り込んで歩きながら、提灯をつきつけて地上を見ると、道に横たわっているのは意外にも一本の長い刀。
 米友はギョッとして、何かまた、いたずら者の名残り、逃ぐるに急で振落して行ったものだろう、見ぬふりして過ぎるのも卑怯なような気がしたから、ともかくもと腰を屈
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