ぬぎ》の上に並べてあった草履をつっかけると、声をしるべに徐々《しずしず》と弁信の方へ近寄って参ります。
そこで、弁信は、いよいよ圧迫されて、苦しまぎれの絶叫を振絞って、人を呼ぶかと見ればそうではなく、
「先生、私は、あなたの殺気を怖れます、けれども自分の命を取られることを、さのみ怖れは致しません」
この場合において、お喋り坊主の減らず口は、必ずしも減らず口とは思われないほどの冷静を持っています。それには頓着無しの竜之助は、刀を片手の中段に持ち直して、ジリジリとそれを突きつけて来る呼吸は、絶えて久しく見ない「音無しの構え」です。兎を打つにも全力を用うるという獅子の気位か知らん。この身に寸鉄もない……寸鉄があったからとて、それを用うる術《すべ》を知らない盲目の小法師に向ってすらが、彼は正式にして、対等の強敵に向うと同じ位を取って突きつけて行く時に、言おうようない悽惨《せいさん》な力が、その刃先といわず、蒼白い冴《さ》えた面《おもて》といわず、白衣に月を浴びた五体といわず、さっと流れて面を向くべくもないのであります。
ところで、不思議なるは弁信法師。この凄まじい刃先を真向《まとも》に受
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