は、あなたの傍におりましても、更にその殺気というものを受けたことがございませんから、少しも怖れというものが起りませんでしたけれども、今は怖れます、あなたは、たしかに私をもお斬りになろうという覚悟で、それへおいでになりました」
弁信の小楯《こだて》に取った卒塔婆の一面に、この時、真向《まとも》に月がさすと、それに、
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「若残一人、我不成仏」
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の文字がありありと読める。ただ、斬ろうとする人も、斬られようとする人も、共にそれが認められないだけです。
「此寺《ここ》へおいでになってから、これで二度《ふたたび》あなたの身に殺気の起ったことが私の心に響きました。その一度は、先日の夜、あなたは、今のあの娘さん――お雪ちゃんというのを斬ろうとなさいました。その時、私が感づいたものですから、不意に中へ入ってお雪ちゃんを助けてやりました。それともう一つは、たった今、私を斬ろうとなさるその心です。悲しいことではございませんか、まだ、あなたは人を斬らなければならないのでございますか」
といったけれども、何の返答もなく、刀を提げてそろそろと縁を下りて、沓脱《くつ
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