た上ります」
といって、娘は泣きながら、庫裡《くり》の方へ帰ってしまったあとで、竜之助は蒲団《ふとん》の下に敷いて寝ていた白鞘物《しらさやもの》の一刀――殺されたという女が記念《かたみ》にくれた――それを取り出して膝へ引寄せました。引寄せてみたところでどうなるものか、この刀に、その女の魂魄《こんぱく》が残っているわけではあるまいし、といって、見えぬ目の前にいる見えぬ同士の弁信を、どうしようというのでもあるまい。五十丁峠から陣馬へかかるところで、みちに迷うて行きつ戻りつしていた駕籠を、無事にこっちへ引向けて、予定通りこの月見寺へ導いて来たのは、ほかならぬお喋り坊主のおかげではなかったか。
その弁信法師は、この時分、もう再び琵琶をかなでるの元気はなくなったと見え、そうかといって、それを蔵《しま》おうでもなく、しょんぼりとして縁先に坐ったままです。
空の月は、青根から大群山《おおむれやま》の上をめぐっている。
「弁信殿」
「はい」
竜之助の問いに弁信が、例によって神妙な返事をします。
「お前は心あってああいうことを言われるのか、それともその時の出まかせか」
重ねて竜之助が問うと、弁信
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