た。
 先生が今度の旅程のうちに、特に名古屋を加えたというのは、先生独得の見識の存するところで、その意見を聞いてみると、先輩の弥次郎兵衛と喜多八が、東海道を旅行中に、名古屋を除外したというのが不平なのだ。
「べらぼうめ、太閤秀吉の生れた国と、金のしゃちほこを見落して、東海道|膝栗毛《ひざくりげ》もすさまじいや、尾張名古屋は城で持つと、雲助までも唄っていらあな、宮重《みやしげ》大根がどのくらい甘《うめ》えか、尾州味噌がどのくらいからいか、それを噛みわけてみねえことにゃ、東海道の神様に申しわけがねえ」
 特に東海道の神様という神様があろうとも思われないが、これが先生の名古屋へ立寄る一つの理由となっているのであります。しかし、弥次郎兵衛と喜多八が名古屋を除外したからといって、故意にやったわけではなく、宮の宿から一番船で、七里の渡しを渡って、伊勢の桑名へ上陸の普通の順路を取ったまでだから、それをいまさらいい立てるのは、少し酷《こく》だと思われます。
 それよりもこの際、京、上方の空気というものは、道庵先生などの近寄るべき空気ではないのですが、この先生のことだから、それをいえば、例のおれの匙にか
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