れて竜之助は、
「そりゃ、どちらともいわれない」
 この時、竜之助はふと妙な心持になりました。

         五

 本坊の前から炊谷《かしきだに》へかけて森々《しんしん》たる老杉《ろうさん》の中へ駕籠《かご》が進んで行く時分に、さきほどから小止みになっていた雨空の一角が破れて、そこから、かすかな月の光が洩れて出でました。
「占《し》めた、お月様が出たよ」
 老杉の間から投げられた光を仰いで、行手を安心する駕籠舁の声を、駕籠の中で竜之助は聞いて、
「ああ、雨がやんだか」
「ええ、雨がやんでお月様が出ましたよ、もう占めたものです」
「この分だと、大見晴らしから小仏の五十丁峠で、月見ができますぜ」
 しかしながら、山駕籠は別段に改まって急ぐというわけでもなく、老杉の間の、この辺はもう全く勾配はなくなっている杉の大樹の真暗い中を、小田原提灯の光一つをたよりにして、ずんずん進んで行きます。
 駕籠に揺られている竜之助は、天に月あることを聞いたが、身は今、この老大樹の闇の中を進んでいることを知らない。ただ、梢《こずえ》はるかの上より降り落つる陰深な鳥の声を聞いて、ここは多分、護られたる霊域
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