て、江戸人の頑固な方面を代表する老人はなげきました。
「権現様が旗本をつれて江戸をお開きになった根元というものは、そういったものではなかったのだ、権現様は大きなお庄屋さん気取り、旗本は三河の田舎《いなか》ざむらいを恥としなかったものだが、世が末になればといって、今日このごろの有様は、ほんとうに浅ましくって涙もこぼれない、色里や歌舞伎者《かぶきもの》にチヤホヤされるのが江戸ッ児だと心得ているくらいだから、刀のさしようは知らなくっても、花札の引きようは心得て、町浄瑠璃《まちじょうるり》の一くさりも唸《うな》れなければ、さむらいではないと思っている、心中者が出来れば羽目《はめ》を外《はず》して大騒ぎをやる、かりにも老中のお屋敷がバクチの宿となって、旗本がお手入れを食って逃げ出したとは、なんというみじめ[#「みじめ」に傍点]な有様だ、これで世が亡びなければ亡びないのが不思議だが、しかし、さすがに権現様の御威光は大したもので、これほどに腐りきった屋台骨が、ともかくも無事で持ちこたえられているというのは、一《いつ》に東照権現の御威光のしからしむるところだ」
 しかし、また一方には、それをせせら[#
前へ 次へ
全338ページ中150ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング