前、もう休んでもいいよ、旦那様がお帰りになったら起すから」
「有難うございます」
 女中が行ってしまってから、小戻りして来たお絹は、
「百蔵さん、お入り」

 それとは別に、その晩、江戸の市中の一角を騒がすの事件がありました。
 とある幕府の重い役、老中の一人をつとめていたことのあるお屋敷の中の一隅で、かねがね賭博を開いていたものがある。もちろん、集まるほどの者は、邸外のやくざ[#「やくざ」に傍点]者であったが、それを張番しているのが邸内の馬丁《べっとう》ども(厩仲間《うまやちゅうげん》)であったがために、そのお屋敷の威光をかさに着て、だんだん増長してきたために、見のがせなくなって、その門外でお手入れがあったということで、その界隈は容易ならぬ騒ぎとなりました。そこで上げられた者は誰だか知らないが、風聞だけはかなりに喧《やかま》しく、なかには歴々《れきれき》の旗本さえあって、上げられた以外の者に、慌《あわ》てふためいて逃げのびたしかるべき士分の者もあったという。
 洗ってみれば、さほどの事件でもなかったろうが、その当座、事が秘密にされていたものだから、それをなかなか重大に考えたものがあっ
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