参りました」
 外に立っている男は、唐桟《とうざん》の襟のついた半纏《はんてん》を着て、玄冶店《げんやだな》の与三《よさ》もどきに、手拭で頬かむりをしたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵であります。こうして不意に忍んで来ても、前以て相当の理解があればこそ、お絹もさほどには驚かないものと見えて、
「どうしてここがわかったの」
「昼のうち、あるところで、福兄さんの姿を見かけたものだから、あとをつけて漸《ようや》くわかりました」
「あんまり突然《だしぬけ》だから、こんなにびっくり[#「びっくり」に傍点]してしまった」
 お絹は胸へ手をさし込んでみる。
「……それでも笹子峠の時ほどびっくり[#「びっくり」に傍点]はなさるまい」
「あの時は命がけだったよ」
「こっちも命がけでしたよ。どうです、徳間峠の時と比べたら」
「あの時は怖かった、あんな怖い思いをしたことはありません」
「この通り右の片腕を打ち落されて、生れもつかぬ片輪にされちまったのは誰故でしょう」
「誰も頼みはしないのに」
「頼まれちゃやれません。時に御新造《ごしんぞ》、私はもう一ぺん危ない剣《つるぎ》の刃渡りをしてみようと思うんで
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