さ。立退き先をあれほど探して歩いたのに、わからないばかりか、わかりきっている行先をさえ、わたしにまで隠そうとなさるなんぞは、水臭いにも程のあったもの、癪《しやく》にさわってたまらなかったのさ」
「それにはまたそれだけの理窟があって、あの当座は、あんまりいどころを人に知られたくなかったのさ。その点は喧嘩両成敗として、御大《おんたい》も実は苦しみ抜いている、一度、見舞に行ってくれないか」
「上りますとも。上ってよければ今日にでもあがりますけれど、そんなわけだから遠慮をしていました」
「もう遠慮は御無用」
「神尾の御前のお怪我はどうですか」
「創《きず》は癒着するにはしたが、なにぶん、眉間《みけん》の真中を牡丹餅大《ぼたもちだい》だけ刳《く》り取られたのだから、その痕《あと》がありありと残って、まあ出来損ないの愛染明王《あいぜんみょうおう》といった形だ、とても、あの人相では、世間へ出る気にはなれないとあって、大将当分は引込んでいるはずだ」
「怖ろしいことでしたね。何しろ、あの時に釣瓶《つるべ》へ肉がパックリと喰付《くっつ》いた有様は、眼の前に物の祟《たた》りを見るようで、ゾッとしてしまいまし
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