に鬱懐《うっかい》をやるの体《てい》。
 興に乗じて微吟が朗吟に変ってゆく。
 この人は、会心の詩を朗吟して、よく深夜人をおどろかす癖があります。
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志賀、月明の夜
陽《あら》はに鳳輦《ほうれん》の巡《じゆん》を為す
芳野の戦ひ酣《たけなは》なるの日
また帝子《てんし》の屯《たむろ》に代る
或は鎌倉の窟《いはや》に投じ
憂憤まさに悁々《えんえん》
或は桜井の駅に伴ひ
遺訓何ぞ慇懃《いんぎん》なる……
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 歌いゆくと興がいよいよ湧き、
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昇平二百歳
この気、常に伸ぶることを得
然《しか》してその鬱屈に方《あた》つてや
四十七人を生ず
乃《すなは》ち知る、人亡ぶと雖も
この霊|未《いま》だ嘗《かつ》てほろびず……
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 我もまた詩中の人となって、声涙共に下るの慨を生じ来《きた》るの時、廊下にドヤドヤと人の足音。
 その吟声がやむと暫くあって、南条の影法師と向い合って、新たに幾頭の影法師。
「南条君、いま戻った」
「やあ諸君」
 忽《たちま》ちに主客の影法師が寛《くつろ》いで、室内が遽《にわ》かにあわた
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