念さに、つい人を怨んでみる気にもなりましたが、どう考えても口惜涙《くやしなみだ》を抑えることができません。
 ぜひなく、その金包を抱いて、泣く泣く廊下を伝って自分の部屋へ歩いて来ると、途中で後ろからその肩を叩いたものがあります。
「お松どの、宇津木にも困ったものだな」
 それは南条力の声であります。
「はい」
 お松は返事をしながら、しゃくり上げてしまいました。
「しかし、あれも馬鹿でないから醒《さ》める時があるだろう、偽《いつわ》りの情から醒めてみねば、真実の旨味《うまみ》がわからん、どのみち、真実なものが勝つのだから、あまり心配せんがよい」
「有難うございます」
とはいったが、それもお松には、一時の気休め言葉のように思われて、自分の部屋へ転げこむと、金包を抱いて散々《さんざん》に泣きました。
 まもなく庭を隔てた一間の障子にうつる影法師は、今の南条力。
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秀《ひい》でては不二《ふじ》の岳《たけ》となり
巍々《ぎぎ》千秋に聳《そび》え
注《そそ》いでは大瀛《たいえい》の水となり
洋々八州をめぐる……
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 案《つくえ》によって微吟し、そぞろ
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