拙者は別な人のところへ行きたくもなければ、行く必要もない、東雲がいなければ、このまま帰ります、帰って、その宿所をたずねて、病気を見舞わねばならぬ、また話しておいた大事な話の残りがある」
「それはずいぶん、御執念なことでございます、では内所へ行ってたずねて参りますから」
暫くしてから、また戻って来た茶屋のおかみさんは、
「あの――主人が留守だものですから、東雲さんのお家がどうしても只今わかりません」
兵馬は熱鉄を呑ませられたように思ったが、このうえ押すと佐野次郎左衛門にされてしまう。
十六
その夜のうちに宇津木兵馬は、ジリジリした心持で、本所の相生町の老女の屋敷へ帰って来ました。この老女の屋敷というのは、一人のけんしきの高い老女を主人として、勤王系の浪人らしい豪傑が出入りする大名の下屋敷のようなところ。
そこで彼は自分の部屋へ来ると、どっか[#「どっか」に傍点]と坐り込んで、懐中から畳の上へ投げ出したのが、宵のうち浅草の五重の塔下で、七兵衝から与えられた金包です。
「兵馬さん、お帰りになりまして?」
とそこへ訪れたのはお松であります。
「いま帰りました」
「
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