けられて、暫く眼をつぶって首を捻《ひね》っていたが、やがて、ずかずかと立って戸棚の中から引出して来たのが、竹の網代《あじろ》の笈《おい》であります。
「我、汝が為めに箇《こ》の直綴《じきとつ》を做得了《つくりおわ》れり」
与次郎老人が味《あじ》なことを言い出しました。弁信はその声を聞いたけれども、その物を見ることができません。茂太郎はその物を見ているけれども、その言葉を悟ることができません。そこで老人は破顔一笑して、諄々《くどくど》と直綴の説明をはじめたようです。
どんなことに納得《なっとく》させたものか、その日の夕方には、例によって馬に跨《またが》った弁信が、一月寺の門前に現われました。現われたには現われたが、今日はその現われ方がいつものとは違います。いつも前に立って馬を引張って口笛を吹くべきはずの茂太郎が見えないで、その代りでもあるまいが、馬上の弁信法師は、身なりに応じない大きな笈《おい》を背負って、自ら手綱を取っています。それに今までは裸馬であったが、今日は質素ながらも鞍《くら》を置いて手綱をかませています。ただ、弁信の背中に背負っている笈が、いかにも大きいのに、弁信そのもの
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