ですからここへ来て手を貸して下さい」
 薄暗い中でしきりに女の声。
「どちらでございます」
「かまわないから早く来て下さいよ」
「こちらから上ってもよろしうございますか」
「どこからでもよいから、早く来て手を貸して下さい」
 流し元のあたりで頻《しき》りに呼ぶものだから、忠作は大急ぎで行って見ると、一人の女中が桝《ます》を膝の下に組みしいて、天下分け目のような騒ぎをしているところです。桝落しをこしらえて鼠を伏せるには伏せたが、どうしていいか始末に困っているところらしい。
「鼠が捕れましたね」
「小僧さん、早く、どうかして下さいな」
 忠作は上手に桝を明けて鼠をギュウと捉《つか》まえて、地面へ置くと、足をあげてそれを踏み殺してしまいました。女中はホッと息をついて、
「おや、いつもの小僧さんと違いますね」
と言って忠作の面《かお》を見ました。
「どうか御贔屓《ごひいき》を願います」
 忠作は頭を下げました。
 そこへ、廊下を渡って、また一人の女の人が、
「お福さん」
と呼ばれて、鼠を押えた女中が、
「はい」
と答えました。
「後生ですから、これへ汲みたてのお冷水《ひや》をいっぱい頂戴」
 
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