は別段に、お絹のことも恨んでもいないようです。お絹が連れて行ったはずの茂太郎は、七兵衛の知恵で、伯耆の安綱と交換して、無事に取返したものと見えます。今度、その少年が馬を連れて逃げ出したというのは、それから後の事件で、お絹はまるっきりこの事件にはかかわっていないようです。もし、お絹があのままで、いまだに茂太郎を誘拐して返さないようなことがあれば、それこそお角だって、これだけの焦《じ》れ方でいられようはずはない。お絹もまた、命がけで、そんないたずらを試みるほどに目先が見えないはずはありません。
 あれはあれで解決がついて、別に、清澄の茂太郎は感ずるところあって、月明に乗じ、馴《な》れた馬をひきつれて、この見世物小屋を立去ったものと見えます。

         三

 三田の薩州邸の附近の、越後屋という店に奉公していた忠作が、その家を辞して、専《もっぱ》ら薩州邸内の模様を探りにかかったのは、それから間もない時のことであります。
 いろいろに変装した忠作の身体《からだ》が、薩州邸を中心に三田のあたりに出没していましたが、ある日、越後屋へ立寄って中庭を通りかかると、一室のうちで声高に話をしてい
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