人で土蔵の中でお経を写しておりました。針で自分の肉体を刺して、その血で丹念に一字一字の法華経を写して「我此土《がしど》安穏、天人《てんじん》常充満」というところに至った時に、車井戸がキリキリと鳴り出したから、お銀様はゾッと身ぶるいをして筆を下へ置きます。
「お喋り坊主」
 神尾の世にも口惜《くや》しそうな声が、そのいやな深夜の車井戸の響きと共に、お銀様の耳朶《じだ》に触れると共に、お銀様の眼前に現われたのは、そのお喋り坊主の弁信の姿ではなく、甲州でむごたらしい虐殺に遇って、訴うるところなき恨みを呑んで横死を遂げた愛人の幸内が姿であります。
「お嬢様、あなたは幸内がかわいそうだと思召《おぼしめ》しになりませんか、もし幸内がかわいそうだと思召すなら、なぜ、あなたは神尾主膳を殺して下さらない、神尾を討って幸内の仇を酬《むく》いて下さらないのがお恨みでございます、倶《とも》に天を戴かずと申しますのに、私をなぶり殺しにした神尾主膳と、そうして同じ屋敷に住んでいていいのですか、それでこの世に残した幸内の恨みが消えると思召しますか、今も神尾主膳は、ああして私を苦しめています、あの車井戸の音がキリキリ
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