「つらつら世間の現象を観ずるに、積善の家には余慶あり、積悪の家には余殃《よおう》あり、尤《もっと》も慎むべきは此道也、ここに薩隅日三州の太守、島津|修理太夫《しゅりだいふ》義久と申し奉るは、うやうやしくも清和天皇の御苗裔《ごびょうえい》、鎌倉右大将征夷大将軍源頼朝公の御子、左衛門尉《さえもんのじょう》忠久公より十六代目の御嫡孫也、文武二道の名将にて、上を敬ひ下を撫で、仁義正しくましませば、靡《なび》かん草木はなかりけり、御舎弟には兵庫頭《ひょうごのかみ》忠平公、左衛門尉歳久公、中務大輔《なかつかさたいふ》家久公とて、何れも文武の名将なり、其の外、家の子|郎等《ろうとう》に至るまで、皆忠勤を励ませば、古今稀なる御果報、近国他国の者までも、羨まざらんはなかりけり……」
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こんなふうに、薩摩の国主の讃美歌になっているのだから、苟《いやし》くも薩摩に縁のあるものがこの歌を聞く時、多くの敬意を表さなければならないのは当然であります。
こうして一座が水を打ったようになり、歌う人の意気が、いよいよ昂《あが》って、
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「彼《か》の島津殿と申すは、かたじ
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