を、この上馬に乗せようとするのは惨酷じゃねえか。昔、神田の祭礼の時に馬鹿な奴があって、素裸《すっぱだか》へ漆《うるし》を塗って、生きた人形になって山車《だし》へ乗っかって、曳かれる者も得意、曳く者も得意でいたところが、いいかげん引っぱってから卸して見ると、その人形が死んでいたという話があらあ。この坊さんだって、もう二三丁も馬に乗せて行こうものなら往生しちまわあ。幸い道庵が通りかかった以上は、商売の手前、見殺しにはできねえ、この小坊主は暫く道庵が預かって、療治を加えてやった上、改めてお前たちに引渡すから、お前たち、暫くの間、ここで踊って待っていろ、この小塚原の亡者《もうじゃ》どもが浮び出すほど、踊って待っていろ……ところでいったい、お前たちは無暗に踊ったり跳ねたりしているようだが、踊りのこつ[#「こつ」に傍点]というものを知っているのか、それとも知らずに踊っているのか、おそらく知っちゃあいめえな。自分からこういうと口幅《くちはば》ったいようだが、日本広しといえども馬鹿囃子にかけちゃあ、当時下谷の長者町の道庵の右に出でる者があったらお目にかかる、この道庵の眼から見れば、お前たちの踊りなんぞは甘《あめ》えもので、からっきし、物になっちゃあいねえ」
 石の地蔵尊の台座の上に突立って、いつぞやの貧窮組の先達気取りで演説をはじめた道庵が、飛んでもないところへ脱線してしまいました。
 実際、馬鹿面踊《ばかめんおど》りの極意《ごくい》に達している道庵の眼から見れば、小金ケ原の場末から起り出した不統一な、雑駁《ざっぱく》な、でたらめな、この輩《やから》の連中の踊りっぷりなんぞは、見ていられないのかも知れません。そうだとすれば、道庵が思わず義憤を発して、この衆愚を啓発してやろうという気になったのも、無理のないところがあります。
「そもそも馬鹿囃子のはじまりは、伊奈半左衛門が、政略のためにやったということになっているが、道庵に言わせるとそうでねえ。ちうこう[#「ちうこう」に傍点]になって雲州松江の松平出羽守、常陸《ひたち》の土浦の土屋相模守、美作《みまさか》勝山の三浦志摩守といったような馬鹿殿様が力を入れて、松江流、土屋流、三浦流という三つの流儀をこしらえたが、馬鹿囃子の本音は、トテモ殿様のお道楽では出て来ねえ。つづいて旗本の次男三男のやくざ[#「やくざ」に傍点]者が、深川囃子というのをこしらえると、本所に住んでいたのらくら[#「のらくら」に傍点]者の御家人が負けない気になって、本所囃子というのをこしらえやがったが、やっぱり馬鹿囃子の本音は、生白《なまじろ》い旗本や御家人の腕では叩き出せねえから、まもなく元へ返ってしまった。ところで、その元というのが、旧来の鍔江流《つばえりゅう》の五囃子だが、道庵に言わせると、こいつもまだ不足がある。ところで……」
 道庵は得意になって、馬鹿囃子の気焔をあげはじめました。この場合においてお喋り坊主以上のお喋りが始まりそうだから、気の短い米友がじっとしてはおられません。
「先生、いい加減にしねえと、この坊さんが死んじまうぜ」
「あ、そうだそうだ、馬鹿囃子より人の命が大事だ、大事だ」
 道庵は、あわてて地蔵の台座の上から飛び下りて、米友と力を合わせて弁信を笈ぐるみ荷《にな》って、近いところの休み茶屋に担ぎ込みました。
 道庵が、お喋り坊主を休み茶屋の中へ連れ込んで療治を加えている間、外に立っている群集は、相変らず踊り狂っていたが、暫くして頻りに、その偶像を返されんことを要求します。
「坊さんかえしてもえいじゃないか、えいじゃないか」
 休み茶屋の周囲を取巻く事の体《てい》が、最初から穏かではありません。ところで、跳《おど》り出した道庵が、公衆の眼の前へ現われて、
「さあ、お前たち、あの小坊主にいろいろと療治を加えてみたが、少なくともなお三日間は安静におらしむべき容態である、いま動かしては命があぶない。といってお前たちも、折角ここまで引出した人形なしにはうまく踊れまい。そこは乃公《おれ》も察しているから相談ずくで、新しい人形を一つお前たちに貸してやる、これは鎌倉の右大将米友公という人形で、形は小さいが出来は丈夫に出来ている、ただいまのお喋り坊主と違って、ちっとやそっといじ[#「いじ」に傍点]くったところで破損をする代物《しろもの》ではない、その代りいじ[#「いじ」に傍点]くり方が悪いとムクれ出す、ムクれ出した日には、ちょっと手がつけられない、そのつもりでこの人形を伝通院まで貸してやるから、これを小坊主の代りに馬の上へ乗っけて踊れ、踊れ」
 お喋り坊主の代りに道庵が提供したのは、鎌倉の右大将米友公と言ったけれども、実は宇治山田の米友のことであります。いつのまにか道庵が米友に因果をふくめて、盲法師の身代りとなるべく納得《なっ
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