の伝通院までは、なかなかの道のりだ、もう少し乗っておいでなさい、伝通院の御門前までは、ぜひぜひ送って上げますからね」
馬側から、またこう言って叫ぶ者がありました。
「いいえ、もうここでよろしいのです、ここが小塚原とお聞き申してみますと、わたくしはここを乗打ちができないわけがあるんでございます。もし、もうこの辺がお仕置場でございましょう、わたくしはここで、お地蔵様へお礼をして通らなければならないわけがあるんでございます」
小坊主は、誰がなんと言っても、ここで下りようとしました。
やがて、その大きな笈《おい》を背負った小坊主が、馬の背から下りて、小塚原のお仕置場の高さ八尺の石の地蔵尊の前へ、ようよう這《は》いついた時に、それを見た宇治山田の米友が、
「ありゃあ、清澄から来た弁信だ」
疲れきっているくせに重たそうな笈を背負った弁信は、ようように地蔵尊の前へのたりつくと、そのところへ平伏してしまいました。むしろ、その重い笈のために、つぶされてしまったようです。
それを見た群集は、あわてて弁信を引起して、またも馬上へ運ぼうとしますと、弁信は力なき声をふり上げて、
「どうぞ、もうお赦《ゆる》し下さいまし、わたくしは疲れきってしまったから、もう馬に乗るのはいやでございます、どこぞへ暫く休ませて下さいまし」
弁信は、再び馬に乗せられるのを頻《しき》りにいやがるのに、多数の者は、
「もう少しだから、辛抱なさい、お前さんが御本尊だ、御本尊が馬の上にござらないと、踊る人が張合いがない、伝通院まで送って上げるから、ぜひとも辛抱なさい」
弁信をむりやりに馬の背へ掻き乗せようとする。それを弁信はしきりにいやがっているのです。あれほど疲れてもいるし、いやがりもするのを、なんだって多数《おおぜい》して担ぎ上げようとするのだか、それがいよいよわからないから、米友は人を掻きわけて、ずっと傍へ寄りました。米友が人を掻きわけて行くと、その傍にいた道庵も、こいつはまた変ってると思って、抜からぬ面《かお》をして米友にくっついて行きました。
「おいおい、お前は弁信さんじゃねえか」
こう言って米友が言葉をかけると、弁信が、
「はいはい、あなたはどなたでございましたか知ら」
「俺《おい》らは米友だよ、友造だよ」
「ああ、友さんでございましたか、その後は御無沙汰を致してしまいました、お前さんもお壮健《たっしゃ》で結構でございます、わたくしもまた、あれから、お前さんと別れましてからは、下総国小金ケ原の一月寺というのへ行っておりましたが、一月寺におりますうちに、わたくしは清澄の茂太郎と一緒になりました、あなたにも一度お消息《たより》をしようと思っているうちに、つい御無沙汰になってしまいました……」
この場合においても、お喋り坊主の弁信は、一別来の一伍一什《いちぶしじゅう》を喋り出そうとするから、米友も堪り兼ねて、
「弁信さん、御無沙汰どころじゃなかろうぜ、お前は今、弱りきって死にかけてるじゃねえか、いったい、そりゃどうしたんだい、大きなものを背負《しょ》い込んで、死にかけていながら、御無沙汰でもなかろうじゃねえか」
「ええ、その通りでございます、友造さん、わたくしはごらんの通りに弱りきっております、死にかけているんでございます、どうか助けておくんなさいまし」
「どうしたんだ、いったい、わけがわからねえや、どうして助けりゃいいんだ」
「友造さん、わたしはもう、馬に乗りたくないのでございます、わたしを助けて下さろうと思ったら、わたしを馬に乗せないようにしていただきたいのでございます、馬に乗せないで、この笈物《おいぶつ》のお守《もり》をしながら、どこかそこらで、ゆっくり休ませていただきたいんでございます、皆さんがむりやりに、わたしを馬に乗せて、踊っておいでなさろうとするが、私はもういやでございます、このうえ馬に乗せられると、私も死んでしまいます、背中の笈物も死んでしまいます、どうか、お助けなすって、私をこのうえ、馬に乗せないようにして下さいまし、お願いでございます」
そこで米友が、いよいよわからなくなってしまいました。わからないけれど、さしあたっての急務は、この小坊主を馬に乗せないで、どこかへ静かに休息させてやればよいのだと思いました。
そこで米友が、大勢を相手にその掛合いをしようという気になっていると、
「なるほど……」
米友の背後《うしろ》から図抜けて大きな声を出して「なるほど!」と言って、人を驚かしたものがありました。一同がその声に吃驚《びっくり》して見ると、それは別人ならぬ道庵先生です。
「こりゃいけねえ、お前たちは、この盲目《めくら》の坊さんを人身御供《ひとみごくう》として、むりやりに馬に乗せて引張って来たんだろうが、見た通り弱りきって、疲れ果てているの
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