大菩薩峠
禹門三級の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)捺《お》した

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)五六騎|轡《くつわ》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と
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         一

 宇治山田の米友は、あれから毎日のように夢を見ます。その夢は、いつもはんで捺《お》したように不動明王の夢であります。夢や新聞は、毎日変ったものを見せられるところにねうちがあるのだが、米友のように、毎夜毎夜同じ夢ばかりを見せられては、驚かなければなりません。
 夢から醒《さ》めたたびに米友の驚き呆《あき》れた面《かお》も、やはりはんで捺したようなものです。米友はついに堪り兼ねて、床の間にかけてあった不動明王の画像を取外しました。この画像があるから、夢を見せられるのである、画像が無ければ、夢も無くなるであろうと思って、その晩は取外して床の間へ捲いておいたけれど、やはり同じように、不動明王の像が夢に現われました。米友は癪《しゃく》にさわってこの画像を、よそへうつしてしまおうと思って、今、かつぎ出したところであります。
 今日は例の手槍を持って出ることの代りに、かなり大きな不動尊の画像を担いで、例によって両国橋を渡りかけました。そこで米友が思うには、これを打捨《うっちゃ》るにしても不動尊である、有難がっても有難がらなくっても、不動明王のお像《すがた》である。芥溜《ごみため》の中へ打捨るわけにはゆかない。さりとて、道の真中へ抛《ほう》り出してもおけない。また米友には、屑屋に売り飛ばすというほどの知恵も浮ばない。売り飛ばしてそれを己《おの》れの巾着銭《きんちゃくぜに》にしようというような知恵は米友には出ない。出て来たところで彼の良心が許さない。この場合、不動尊の殊勝な信心家が現われて、この画像を米友の手から乞い受けて、祀《まつ》りあがめる人が出て来れば米友は一議に及ばず、その画像を譲り渡したものであろうと思われるが、不幸にしてその人を得ることができない。せっかく、不動尊を担ぎ出して来たものの、実際、米友はこれをどう扱っていいかということに迷いきっているのです。この点においては、曾《かつ》て京都へ遊びに行った弥次郎兵衛と喜多八とが、梯子を買ってもてあまして、京都の町を担ぎ歩いたようで、米友のは梯子よりは有難い不動様であるだけに、なおさら捨場に困るのであります。
 ほかのことにはあまり頓着はしない米友が、こういうことになると真面目に苦心するのです。甲州の袖切坂《そできりざか》で鼻緒の切れたお角の下駄を、どう処分しようかと思って、二里も三里も持ち歩いたこともあります。今はその下駄とも違って、不動明王のお像《すがた》だから、担ぎ出しは担ぎ出したものの、その心の中の苦心は容易なものではありません。
 で、両国橋へ来て、フト思案半ばに思いついたのは、やっぱりここから川の中へ投げ込むのがよかろうということでありました。両国橋から物を投げ込んだことは、米友には今までに経験がないではありません。第一には、天誅組《てんちゅうぐみ》の貼紙をした立札を引っこぬいて、この川の中へ抛《ほう》り込みました。第二には、金助から侮辱されて腹立ちまぎれに、頭からかぶって金助を、大川の真中へ抛り込んだこともあります。
 それで米友は、こんどもその伝で不動明王を、ここから川の中へ抛り込もうと考えたものらしい。それで米友は、恐る恐る画像を肩から取り卸して、橋の前後を見渡しました。あいにくのことに往来の人がかなりに多い。それがいちいち変な目つきをして、米友の挙動をジロジロと見るのが癪にさわる。どうも自分ながら盗み物でもするように気がとがめてならない。前に立札を投げ込んだ時のように、また金助を抛り込んだ時のように、端的に、痛快にやっつけてしまうことのできないのが忌々《いまいま》しい。そこで米友は、せっかくの名案も実行が渋って、いったん肩から取下ろした不動尊の画像を、また担ぎ直して、非常な不機嫌な顔色をして、
「ちぇッ」
 舌打ちをして焦《じ》れったそうに、また両国橋を渡り出しました。
 彼は事をなす時には端的にやっつけてしまうが、その端的が外れると、もう底知れずにぐずついてしまいます。一旦、川へ投げ込みそこねてみると、もう駄目です。大川へ投げ込めないものが、神田川へ投げ込めるはずがない。大川へも神田川へも投げ込めないものを、そこらの堀や溝へ投げ込めるものではない。米友は思案に暮れながら不動尊を担いで、どこを歩むともなく歩み歩んで行きました。
 しかしながら、いくら歩いてもこの上いい知恵の出
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