ないものでございます」
「そうだ、流行りものとなると、人気がまるっきり別になってしまうんだ。今時《いまどき》の攘夷《じょうい》というやつもそれと同じで、そのことができようとできまいと、それを言わなければ人間でないように心得ている。流行りものというやつは全く厄介物だな」
「上方ばかりじゃございません、先生のお国の常陸《ひたち》の筑波山あたりでも、昔はずいぶんああいったものが流行ったということでございますね」
「古いことを担ぎ出したものだな、あれは歌垣《うたがき》といって、やっぱり男女入り乱れて踊るんだ、ずいぶんいかがわしい[#「いかがわしい」に傍点]話もあるが、今の流行《はや》りものよりは幾分か風流だろう」
「伊勢の国には、またつと[#「つと」に傍点]入りというのがありましてね、大勢して踊り歩いて、日頃、大事なものを隠して置く家の前へ来ると、つつと入りこんで、その大事なものを取り出して見るのですが、大事にしている娘や、お妾さんを見られて弱る者があるそうです」
「武州の府中の六所明神の提灯祭りは、一定の時になると、町という町の燈火《あかり》を残らず消して、集まったものが入り乱れて踊るのだそうだが、お前、行って見たか」
「ええ、行って見たこともございます」
「人間は踊りたがるように出来てるんだ、それが男だけでは熱が出て来ないんだ、女が出て踊るようになるから熱が出て、逆上《のぼ》せあがってしまうのだな」
「そうですとも。上方で見ました時に、女が裸で踊る有様といったら、とても見られたものじゃありませんでした。女はあまり人中へ出て踊らない方がようござんすな。もっとも、踊りも優美な品のいい踊りならずいぶん結構でござんすけれど、えいじゃないか[#「えいじゃないか」に傍点]の踊りばかりは感心しません。西洋の国では、エライ身分の人たちまでが夜会ということをして、男と女と夜っぴて踊るんだそうですが、日本の土地にもその真似が流行《はや》ったんでございましょう、世が末になるとロクなことは流行りません」
「誰か裏にいて、煽《おだ》てる奴があるんだよ」
七兵衛と山崎とが、こんな話をしているところへ、人混みの真中に揉《も》まれて、馬に乗った天狗の面が現われて来ました。
「あれだ、ああいう木偶《でく》の坊《ぼう》を祭り上げて、いい気になって騒いでいる」
二人は馬上の人身御供を苦々《にがにが》しげに、また笑止千万な面《かお》をしてながめています。
七
「左様でございますね、何ともおっしゃっておいでにはなりませんが、多分、本所の相生町の方へおいでになったものと心得ておりまする。実は私もこの間、こちらへ御厄介になりました居候《いそうろう》でございまして、まだ、先生の御気象もよく呑込んでいるわけではございませんが、うちの先生は、なかなかちょく[#「ちょく」に傍点]なお方でございまして、あれでまた、なかなか物に憐れみがございます。わたくしと、もう一人の茂太郎というのが居候をしているのでございますが、まあ命の親と言ってもよろしいのでございます。始終、お酒を飲んで冗談ばかり言っておいでになりますけれども、お医者の方はたしかにお上手でございます、癒《なお》るものは癒る、癒らないものは癒らないと、ハッキリおっしゃるのが何よりの証拠でございます。人間業で癒るものと、神仏の御力でなければ、どうにもならないものとの区別を先生は、あれでちゃんと心得ておいでになるところがエライものと、わたくしは感心を致しておりますのでございます。本当のことを申しますと、人間というものは、決して病気で命を落すものでございません、みんな寿命でございます、前世の宿業《しゅくごう》というものでございます。それでございますから世間に、お医者さんを信用し過ぎるものは、まるきりお医者さんを信用しないものと同じことに、間違っているのでございます。また、うちの先生は薬礼を十八文ずつときめてお置きになります、これが、ケチのようですけれども、できないことでございます。もともとお医者さんという商売は、そんなにお金の出来る商売ではございません、お医者さんで、一代のうちに百万円ものお金をこしらえたりすると、その子供に良いのが出来ません、お医者さんや坊主というものは、人の命を扱うものでございますから、できるだけ綺麗《きれい》に致していなければ、人の思いというものがたか[#「たか」に傍点]るのでございます。こんなことを申し上げると、迷信だなんぞとお笑いになるかも知れませんが、それが本当のところでございます。ただ、うちの先生に惜しいことは、お酒を召上ることでございます、梵網経《ぼんもうきょう》の中にも飲酒戒《おんじゅかい》第二とございまして、酒は過失を生ずること無量なり、もし自身の手より酒の器を過ごして、人に与
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