も踊ることの好きな国民かなと、笛を携えた茂太郎が呆《あき》れて、その広間の中をながめていました。
小金ケ原から踊り抜いて来た連中は民衆の階級であります。彼等はのぼ[#「のぼ」に傍点]せ上ってところ嫌わず踊るから、ついにはふん[#「ふん」に傍点]縛られたりするようなことになる。ここの中で踊っている連中は、どんなに間違っても縛られることはないから、男と女とが抱き合ったりなんかして、盛んに踊っているのであります。
われら笛吹けども踊らず、と昔の人は言いましたが、笛を吹かないでも、このくらい内と外とで踊れば充分だろうと思われます。茂太郎はそれを見ていると、みんな立派な人たちが、いい年をして、どうしてまた、あんなに食いついたり、抱き合ったりして、臆面《おくめん》もなく踊れるのだろうと思いました。けれども、この人たちは、かの民衆階級のするように、決して無暗に馬鹿踊りをするわけではありません。こうして出来た入場料を、みんな慈善事業に寄附しようという、非常に高尚な目的でやっているのですから、食いついたり、抱き合ったりして踊ったりしたところが、その性質がおのずから違っていることを茂太郎は知らないから、ただ笛を携えて、しきりにながめているばかりです。
さて、ここでひとつ笛を吹いたら、たしかにあの人たちを驚かすことはできると思いました。人を驚かすために吹きに来たのではなく、人を避けんがために吹きに来たのだけれども、こうなってみると茂太郎は、踊っている大尽の家の綺羅を尽した紳士淑女のために、吹いてやりたい心を起しました。とりあえず何を吹いてやろうと、歌口をしめしながら、暫く小首を傾けておりました。
何を吹き出そうかと思案している茂太郎の目の前を、二羽の鳩が飛んで行きます。それを見ると茂太郎は、急に笛を取り直して、ヒューヒョロロと吹きました。
その笛の音につれて、不思議なことに、飛んで行こうとした二羽の鳩が、急に翼を翻して櫓《やぐら》の上へ戻って来ました。
続いて茂太郎が笛を吹くと、どこにいたともない多数の鳩が、土蔵の鉢巻の裏や、屋根の瓦の下や、軒の間から姿を現わして、茂太郎の立っている櫓の上へと集まって来るのが、いよいよ不思議です。
茂太郎は、足拍子面白く、なお吹きつづけていると、集まった鳩が、左右に飛び惑うて、さながら踊りをおどるが如き形が妙です。そうして或る者は茂太郎の肩につかまって、また離れ、或る者は茂太郎の周囲をめぐりめぐって、戯れ遊ぶもののようです。
いよいよ吹いている間に、雀も集まります。烏もやって来ます。茂太郎の傍にあって舞い踊るのは鳩だけであって、そのほかの鳥は屋根の鬼瓦や、棟の上に集まって、首を揃えてそれを見物するかの如き形が、またすこぶる妙なものであります。
と、また、庭に餌を拾っていた鶏がしきりに羽バタキをしました。高く櫓の上まで飛び上ろうとして、翼の力の足らぬことをもどかしがるように、居たり立ったりしている鶏もおかしいが、ついには例の梯子《はしご》を一歩一歩と鶏が上って来る有様です。見ている間に櫓の上は無数の鳥で一パイになりました。
表を通る人は足をとどめて、この家の屋根の上を見物します。裏の大尽の家の庭でも、広間でも、このことの体《てい》を認めないわけにはゆきません。
「茂ちゃん、お前また笛を吹くと人騒がせだよ」
眠っていたと思った弁信が、下の庭から言葉をかけました。
話が前に戻って、小金ケ原から繰出して来た人数を、浅草広小路の、とある茶屋でながめているのが山崎譲と七兵衛とであります。
「えらい景気だな」
「えらい景気でございます、けれども、上方《かみがた》のえいじゃないか[#「えいじゃないか」に傍点]はこれどころではございませんな」
「左様、あれに比べると、まだこっちの方が穏かだな」
「いったい、近頃は関東よりも、上方の方が人気が荒くなりました」
「そうかも知れない、いったい、あのえいじゃないか[#「えいじゃないか」に傍点]騒ぎはどこから起ったものだ」
「どこから起ったか存じませんが、神様のお札が、天から降って来たのが始まりだそうでござんすよ、それで忽《たちま》ちあんなことになってしまいました、盆踊りのように、時を定めて踊るんならようございますが、朝であろうが、昼であろうが、稼業《かぎょう》が忙しかろうが、忙しかるまいが、踊り出したが最後、気ちがいのようになってしまうのですから手がつけられません。私はあれを、伊勢から伊賀越えをする時に見物致しました、男だけならまだしも、女が大変なものですからな、女が白昼、裸で踊って歩くんですから、沙汰の限りでございます。どうも人間てやつは、ああして集まって人気が立つと、逆上《のぼ》せあがって人間が別になってしまうんですね。江戸へは、あんなものを流行《はや》らせたく
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