味を起すことは無理もないのであります。それも話に興味を起すだけでは満足ができないで、事実においてこれらの連中には、垣根を越えて寺の外へ迷い出すものが少なくないのであります。
そうして附近の遊廓や茶屋小屋へこっそりと遊びに行ったり、土地の女たちに通ったりする者がないではありません。それをする時に体《てい》よく組を別けて、一組は留守を守り、一組は垣根を越えて行くのでありました。こうして外へ迷い出して歩くものを、彼等の仲間で亡者《もうじゃ》と呼んでいました。
これらを取締るのは例の慢心和尚の役目であります。けれどもあの和尚は、弟子どもがこんな人間味を味わいはじめたのを、まだ知らない様子であります。或いは知っていてもこの和尚は、それを大目に見ているのかとも思われないではありません。或いはあの通り図々しい和尚のことだから、遣《や》れ遣れ、若いうちはウンと遣ってみるがいい、なんかと言って蔭で奨励しているのだかも知れません。しかし、苟《いやし》くも宗門の師家《しけ》としてそんなことがあろうはずはありません。たとえ若気《わかげ》の至りとは言いながら、雲水たちの一部に、こんな人間味が行われはじめたと
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