いのであります。
前に一度、対面は済んでいるのでありました。しかしその対面は与八もそれを知らず、米友もまたそれを知らないのであります。与八はその時に米友を日本人として見てはいませんでした。米友もまたその時の見物にこの人があったことは覚えているはずがありません。それを知るものは道庵先生ばかりであります。この両人は途中の話頭《わとう》によって、おたがいに行く先の暗合を奇なりとして驚きました。
それから山路を歩く間、二人の会話を聞いていると、かなり人間離れのした受け渡しがあるのであります。
七
恵林寺《えりんじ》の僧堂では、若い雲水たちが集って雑談に耽《ふけ》っておりました。彼等とても、真面目《まじめ》な経文や禅学の話ばかりはしていないのであります。夜になってこうして面《かお》を合せた時には、思い切って人間味のありそうな話に興を湧かすのであります。人間味というのは、なにも色恋の沙汰ばかりではないけれども、ここでは特にそうなるのであります。
厳粛な僧堂生活の反動というわけではない。彼等とても強健な身体《からだ》に青年の血を湛《たた》えているのですから、そんな話に興
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