す。その時の少女は、老人の巡礼につれられていましたけれど、今の米友はたった一人であることと、その時のお松は瓢箪《ひょうたん》へ水を汲みに行ったけれど、今の米友は竹筒を持って行ったことが、違えば違うようなものです。
曾《かつ》てお松が、この下の黄金沢《こがねざわ》の清水を瓢箪に満たして、欣々として帰って来たその間に、連れの老巡礼は見るも無惨な最期《さいご》を遂げていました。
それらの出来事は、いっこう米友の知ったことではありません。米友もまた、期せずして前にお松が汲んだろうと思われるあたりの沢の清水を竹筒に満たして、欣々として、もとのところへ帰って来たけれど、そこにはなんらの意外な変事も起っていた模様も見えません。
「おや」
なんらの変事もないと思ったのは、米友がこの峠を初めての旅人であったからであります。竹筒を持って作事小屋の中へ入った時までは気がつかなかったけれど、そこへ来て見ると、今の米友にとってはかなり重大な変事が起っていることを知りました。
「握飯《むすび》がねえや」
五箇《いつつ》の握飯のうち三箇を食べてしまって、あと二箇を残しておいたことは紛れもなき事実であります。
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