膳の同列へ斬り込んで討死をせぬ、よくもおめおめとお供をして帰って来られたものじゃ」
 家老のお叱りにあって、お供の者は一言もないのであります。家老のお叱りそのものが何を意味するのだかを合点することができませんでした。
 これは無理のないことで、たとえば毒を飲まされた時に、飲まされた当人が黙って堪《こら》えている以上は、外から見て、その苦痛や惨烈の程度がわからないのはあたりまえのことであります。
 駒井家の邸内は沸騰しました。これから神尾主膳の邸へ斬り込まんとする殺気が立ちました。それを厳しく押えた能登守は、追って自分の沙汰《さた》するところを待てと言って、例の研究室へ入ってしまいました。その邸内がこんなに混雑したのみならず、この噂は城下一般に燃え立ちました。駒井能登守の家来が、今にも神尾主膳の屋敷へ斬り込んで来るという噂が立ちました。神尾の屋敷では、それこそ面白い、そうなれば能登守が恥の上塗り、見事、斬り込んで来るなら来てみろという意気込みで、人を集めて待ちうけました。
 その附近の家々では家財道具を押片附けて、今にも戦争が始まるかのように慌《あわ》てるものもありました。しかし、その形
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