娘を寵愛して鼻毛を読まれているとは、さてさて思いがけない馬鹿殿様という噂も、折助どもやなにかの間に立っていることです。
 これは単に噂だけとしても容易な噂ではありません。お君と併せて能登守の生涯を葬るに足る噂です。
 この場合に、自分としてはどういう処置を取っていいのだか、ほとほと思案に余りました。それと忠告しなければこの後の御災難が思いやられるし、そうかと言って明《あか》らさまに忠告すれば、その愛情に水を差すようなものだし、またほかのことと違って、お前の素性《すじょう》はこれこれだろうと露出《むきだし》には女の口から言えないし、いっそお君様が自分から御辞退申せばよいのにと、お君の心をさえ情けなくも思ったりしました。
 けれども、その噂はいよいよ密々に拡がるばかりで、ことに神尾家の折助などはこのことを、いちばん恰好《かっこう》な笑い草にして、おおっぴらで嘲弄していました。お松はそれを聞くと、どうしても本人に忠告をしなければならないことだと思いました。たとえ自分は悪《にく》まれ者になっても、このままで聞き捨てにはならないから、今晩は、お君様を尋ねてそのことを言ってしまおうと思って、出かけ
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