いや》と言っても応《おう》と言っても、こうなったからは仕方がございませぬ、わたしはどうしたらようございましょう」
「なんと言っても甲州の天地は狭いから、ともかくもこれから江戸へ行くのじゃ、おそらくお前は生涯、拙者の面倒を見なければなるまい」
「わたしは怖ろしくてたまりません、けれどもどうしてよいかわかりません、それでもわたしはあなたと離れようとは思いません」
「黙って拙者のすることを見ていてくれ」
「黙って見てはいられません、わたしもあなたと一緒に生きている間は、あなたのような悪人にならなければ、生きてはおられませぬ」
三
恵林寺《えりんじ》の師家《しけ》に慢心和尚《まんしんおしょう》というのがあります。
恵林寺が夢窓国師《むそうこくし》の開山であって、信玄の帰依《きえ》の寺であり、柳沢甲斐守の菩提寺《ぼだいじ》であるということ、信長がこの寺を焼いた時、例の快川国師《かいせんこくし》が、
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安禅必不須山水《あんぜんかならずしもさんすいをもちゐず》
滅却心頭火自涼《しんとうめつきやくひもおのづからすずし》
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の偈《げ
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