まし」
 馬子はお松の先に立って、崖道《がけみち》を桂川の岸へと下りて行きます。
 しばらくしてこの馬子は、桂川の岸にある船小屋のところまで来ました。そこで振返ってお松の面を見て莞爾《にっこり》と笑いました。お松は提灯の光でその面を見たけれども、その意味を解すことができませんでした。
 小屋の中には誰も住んではいません。炉の中には火もなければ、燃えさしもありません。
 馬子は提灯を羽目《はめ》の一端にかけて置いて、床板を上げるその中から、空俵を程よくからげたのを一つ取り出しました。それを手早く解《ほぐ》して開くと、その中にいつ用意してあったのか、一組の衣類と、見苦しからぬ拵《こしら》えの大小一腰が現われました。
 馬子は自分の衣裳を脱ぎ捨てて、空俵に包んであった衣類を着替えてしまいました。それもまた見苦しからぬ武士の着る衣裳であります。衣裳を着替えて、帯を締めて、それから足をこしらえにかかる手順が慣れたものであります。
 身仕度をしてしまってから、腰をかけて草鞋《わらじ》を二足取って、その一足をお松の前に投げ出し、
「これをお穿《は》きなさい」
 お松にあてがって、自分もまたその一足を
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