穿く。
お松はただこの奇異なる人の為すところを夢見るような心持で見て、その為せというままに従うよりほかはありませんでした。
「これから御身と共に、拙者も江戸立ちじゃ」
と言って、サッサと先に立って、例の提灯を持ってこの舟小屋を立ち出でました。お松も無論そのあとに従いました。小屋を出て河原の町の方を見上げると、提灯の影がいくつも飛んで、人の罵《ののし》る声などもします。
それを見ていた奇異なる武士は、なんと思ってか自分の小田原提灯をフッと吹き消しました。四辺《あたり》はやはり真暗で、桂川の川波のみが音を立てて噪《さわ》いでいます。その暗い中で、奇異なる武士は無言にお松の手を取って引き立てました。しかしその疲れきっているのを認めて、
「拙者の背中をお貸し申そう、遠慮なさるには及ばぬ、それがたがいに楽でよろしい」
奇異なる武士はお松を背負うて、桂川の岸の大石小石の歩きづらい中を飛び越えて、流れと共に下って行くのであります。
底本:「大菩薩峠4」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年1月24日第1刷発行
「大菩薩峠5」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年
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