に近寄っては来ないで、そこへ蹲《うずくま》って、カチカチと燧《ひ》を切りはじめました。そしてその火を小田原提灯にうつしていることがよくわかるのであります。
 提灯をつけられてはたまらない、もう絶体絶命と思って、お松はその提灯の光を慄《ふる》えながら見ていると、意外にもその提灯の光にうつる人の面《かお》は見たようなと思うも道理、それは今日、猿橋の宿から、この上野原まで自分をのせて来た馬子でありました。この馬子を見た最初にがんりき[#「がんりき」に傍点]は逃げ出してしまいました。この次に逢った時は取って押えてやると言っていました。昨夕《ゆうべ》あの宿へ自分を送りつけた後は、鳥沢とやらへ帰ってしまったものと思っていたら、まだあの宿に泊っていたものらしい。
「どうなさいました、怖い者ではござらぬよ」
 馬子は提灯をさしつけて、お松の隠れている木下闇《このしたやみ》を照しました。お松の足は、ひとりでにその木下闇から離れて、馬子の提灯の方に引き寄せられました。
 この時に、がんりき[#「がんりき」に傍点]はどこへ行ってしまったか、姿も形も見えません。
「これから私が案内をして上げます、御安心なさい
前へ 次へ
全185ページ中182ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング