いた方が、まだ知恵もあったろうにと思われる。そうして胸を痛めているところへ案内につれて、八州の役人と手先がズカズカと入って来ました。
お松は胸が噪《さわ》いで、気が嚇《かっ》と逆上《のぼせ》るようであります。
「ちと、お尋ね致したいが、其許様《そこもとさま》はいずれからお越しになりました」
入って来た八州の役人というのは、わりあいに丁寧な物の尋ね様です。
「拙者は甲府より参りました」
お松も一生懸命で、度胸をきめて返事をしはじめました。
「甲府はいずれのお身分」
「勤番支配駒井能登守の家中の者にござりまする」
「駒井能登守殿の御家中とな、失礼ながら御姓名は?」
「和田静馬と申しまする」
「和田静馬殿……」
と言って役人は小首を傾けましたが、
「して、これよりいずれへお越し」
「主人能登守のあとを慕うて、江戸まで出まする途中」
「ただお一人にて?」
「左様。それには少々事情ありて、主人の一行に後《おく》れました」
「ともかく、少々|御意《ぎょい》得たきことがござる故、本陣まで御足労下さるまいか」
「それは迷惑な」
「強《た》ってとはお願い申さぬ、実は貴殿のお身の上と言い、ただいま承
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