小気味が悪い男であるけれど、いま入って来た馬子は、容貌が怖ろしげなのにかかわらず、一見して気味の悪いという感じをお松に与えないで、そのお粗末な服装の中に、どこやらに親しみのある人品が備わるように見えないでもありません。無雑作《むぞうさ》に入って来たけれども、そこにお松のあることを見て、丁寧に小腰をかがめました。
 この店の親方とは、心安い間柄と見えて、話しぶりも打解けたものです。その話を聞くと、笹子まで客を送って行って、これから鳥沢へ帰るところであるということです。
 この馬子は隅っこへ腰をかけて、お松の方を遠慮深く見ていたようでしたが、
「もし、お武家様」
と言って言葉をかけました。
「はい」
 お松は馬子から言葉をかけられたので、少しうろたえて返事をしました。
「失礼でございますが、あなた様は、これからどちらへお越しでございます」
「江戸へ下ります」
「左様でございますか、お一人で……」
「はい」
「いかがでございましょう、どのみち帰りでございますから、お馬にお乗りなすっておくんなさいますまいか」
と言われて、お松は馬子の面《かお》をチラと見ました。人の悪い馬方や雲助の多いことでは
前へ 次へ
全185ページ中164ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング