お松はその心持で街道の方を眺めていました。
 暫くした時に、その前をズッシズッシと通ったのは、昨日、笹子峠の坊主沢のあたりで遣《や》り過ごした八州の役人という一隊でありました。その一隊の人が、ズッシズッシと通って行く光景はなんとなく穏かでありません。昨日あれからどこまで行ったのか、甲府までは行くまいけれども、勝沼あたりまでは行って、それからまた引返して来たものに相違ないのであります。
 いかに同行の人を求めたいからと言って、あの一行の中へ駆け込むわけにもゆかないから、お松はそれの通り過ぐる間は隠れるようにして、それが遠く離れたと思われる時分まで、わざとこの店に隙《ひま》をつぶしていると、そこへ頬冠《ほおかぶ》りをした逞《たくま》しい馬子《まご》が一人、馬を曳《ひ》いてやって来ました。
「御免なさいよ」
と言って頬冠りを取った馬子の面《かお》は日に焼けて髯《ひげ》だらけであるけれども、厳《いか》めしい面で、眼つきが尋常の馬子とは違うように見えます。眼つきが違うといっても、悪い方に違うのではありません。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は身なりを小綺麗にしているにかかわらず、なんとなく
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