」は底本では「前さん」]、鳥沢へ行くのなら、お客様を一人、案内して上げてくれないか、まだお若いお侍だけれど、手形を失くしてしまって困っておいでなさる様子、抜け道を聞かしてもらいたいとわたしに頼むくらいだから、ほんとうに旅慣れない初心《うぶ》な女のような若いお侍だよ」
「なるほど、そりゃ案内してやっても悪くはねえが、こちとらと違って、あとで出世の妨げになってもよくあるめえからな、それを承知で、よくよくの事情なら、ずいぶん抜け道を案内してやらねえものでもねえ」
「そりゃお前さん、よくよくの事情があるらしいね、手形を失くしたというのは嘘《うそ》で、持たずに逃げ出して来たんだね、それで、どうやら追手がかかるものらしく、外へも出ないで隠れている様子が、あんまり痛々しいから、お前さん、ひとつ助けておやりよ、女のような優しいお侍だからかわいそうになってしまう」
十一
その翌朝になっても雨はしとしとと降っていましたが、それにも拘らず宇津木兵馬は、駕籠を雇ってこの宿を立ち出でました。
兵馬は合羽を着て徒歩でこの宿を出て、尋常に甲州街道を下って行くのでありましたが、兵馬とお君の駕
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