べきはずのものではなかろうと思いました。
 それで兵馬は慢心和尚に向って、
「老和尚はもしや、備後尾道の物外和尚ではござりませぬか」
と尋ねました。
「そんな者ではない、そんな者は知らん」
と言いながら慢心和尚は、駕籠を担いでサッサと行くのであります。それですから、一度はそれと尋ねてみたけれど、二の句は継げません。こうして金剛杖を突いて、やっぱりあとを追っかけて行くうちに勝沼の町へ入りました。
 その時分、もう夜は更《ふ》けきっていたのであります。勝沼へ来て柏尾坂《かしおざか》の上で和尚が、はじめて駕籠を肩から卸して土の上に置き、その駕籠の上に頬杖をつきながら、
「宇津木さん、これから先は、この中の人をお前さんに引渡しますよ、どうかして江戸へつれて行って上げるのがいちばんよかろうと思いますよ。この中の人には向岳寺の方から手形が出ているし、お前さんは、わしの寺からということにしてあるから、道中も無事に江戸へ行けるだろうが、出家姿で女を連れて歩くというのも異《い》なものだから、あたりまえの武士の風《なり》をして行くがよかろう。この町で富永屋庄右衛門というのをわしは知っているから、それを起し
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