らふらとして小泉の家を出でました。
 お銀様は竜之助の出たことを知りませんでした。それは竜之助がお銀様の熟睡を見すまして、密《そっ》と抜け出でたからであります。
 小泉の家の裏手を忍び出でた竜之助は、腰に手柄山正繁の刀を差していました。これは神尾主膳から貰ったものであります。手には竹の杖を持っていました。これも甲府以来、外へ出る時には離さなかったものであります。面《かお》は例によって頭巾《ずきん》で包んでいました。
 その歩き方は、甲府において辻斬を試みた時の歩き方と同じであります。あるところはほとんど杖なしで飛ぶように見えました。あるところは物蔭に隠れて動かないのでありました。自然、甲府でしたことを、ここへ来ても繰返すもののように見えます。
 けれどもここは甲府と違って、人家も疎《まば》らな田舎道《いなかみち》であります。笛吹川へ注ぐ小流れに沿って竜之助は、やや下って行ったけれど誰も人には会いません。人には逢うことなくして、水車の車のめぐる音を聞きました。竜之助がその水車の壁に身を寄せた時に、一方の戸がガタガタと音をして開きました。
「それでは新作さん、行って来ますよ」
 それは若い
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