松林の中で焚火をしている者があります。焚火の炎が見えないほどに、幾人かの人が焚火の周囲《まわり》に群がっていて、それが今まで一言も物を言わなかったというのは、まさしく人を待ち構えているものと見なさなければなりません。それですから駕籠屋は、ギョッとして立ち竦《すく》みました。
 しかし、宇津木兵馬はそのことあるのを前から感づいて、
「構わず、ズンズン遣《や》ってくれ」
と駕籠屋を促《うなが》しました。
「おい、その駕籠、待ってくれ」
 果して焚火の周囲から声がかかります。
「構わずやれ」
 兵馬は小さな声で、またも駕籠屋を促しました。
「おい、待たねえか」
「何用じゃ」
「その駕籠の主は何の誰だか、名乗って通って貰いてえ」
「無礼千万、其方《そのほう》たちに名乗るべき筋はない」
「そっちで名乗るがいやならこっちから名乗って聞かせようか、その駕籠の中身は女であろう」
「女であろうと男であろうと、其方どもの知ったことではない。駕籠屋、早くやれ」
「おっと、おっと、ただは通さねえ、ほかでもねえが、その女をこっちへ温和《おとな》しく返してもらわなければ、お前たちにちっと痛い目を見せるんだ。向
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