ばかり》の品のよい老女で、この老女がこの頃になって何か胸に思い余ることがありげに、しきりに心を苦しめているのが、そう思って見れば他目《よそめ》にも見えます。
老尼の住んでいる庵《いおり》は、昔から伝えられた名をそのままに燈外庵と呼ばれていました。珠数《じゅず》を爪繰《つまぐ》りながら老尼が燈外庵の庵を出ようとすると、若い尼が、
「御庵主様、いずれへおいであそばしまする」
と尋ねました。
「はい、わしはこれから、ちょっと恵林寺まで行って参りまする」
「左様でございますか、お供を致しましょうか」
「それには及びませぬ……しかし、曾光尼《そこうに》、あの、わしが留守の間をよく気をつけて給《たも》れ」
老尼は若い尼の耳に口をつけて何をか囁《ささや》くと、
「畏《かしこ》まりました、お大切《だいじ》に行っておいであそばしませ」
そのあと、この若い尼は池の傍に立って鯉を見ているけれども、心は鯉にあるのではなく、老庵主から頼まれた何者かの見守りに当るらしくありました。
暫らくした時に、池に向いた方の書院の障子がスラスラと開きました。その開いた間から見えるのは、やはり若い尼で、しかもこちらにい
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